美しい宇宙船


●共に生きる
「美しい宇宙船」

金光学園中学高等学校校長
佐藤元信さとうもとのぶ 先生


 私は現在、金光学園中学高等学校の校長として勤務しています。金光学園は、金光教の教祖の教えを建学の礎としています。教祖様は「天と地の間に人間がいる。天は父、地は母である。人間、また草木など、みな天地の恵みを受けて地上に生きているのである」と教えて下さっています。私は、子どもの頃から天地自然が好きでしたが、私が地球環境に特に関心を持つようになったのは、一人の被爆者に出会ってからです。
 昭和54年のことです。私は、中学3年生の国語の授業で、井伏鱒二いぶせますじの『黒い雨』を教えていました。授業が終わって一人の男子生徒が来て「先生、この主人公の重松さんというのは、僕の父の叔父さんです」と言いました。『黒い雨』の主人公のモデルが、近くの町に住んでいるとは思いもかけないことでした。
 私は、生徒たちと重松さんを訪問することにしました。
 それは初夏の日曜日でした。重松さんの住んでいる広島県三和町さんわちょう福山ふくやま市から車で1時間ほどの山間の農村で、この物語の中で重松さんが仲間と村の池で鯉を飼う話がそのまま目に浮かぶような所でした。
 私たちを迎えてくれた重松さん夫妻はお元気そうでした。昼食をごちそうになりながら、いろいろな話を聞かせていただきました。
 重松さんは、広島市で働いていましたが、昭和20年8月6日、出先の工場に出勤して、これから仕事という時に爆発は起こりました。
 顔面にけがをしたが何とか歩ける。立ち上がって目にした街は一面のがれきと化し、火災が起きていた。奥さんとめい矢須子やすこは無事だろうか。重松さんは、倒壊した家屋を乗り越え、死者を傍らに見、重傷者のうめき声を聞きながら我が家にたどり着きます。家はつぶれていましたが、幸い奥さんとも、姪の矢須子さんとも会えました。
 会社は解散し、重松さんたちは、大混乱の中を故郷に帰ります。重松さんは、ぼつぼつ農業をしながら、療養に励みます。
 ところが、初め、黒い雨に打たれただけで元気だった矢須子さんが原爆症と診断され、そのため縁談が次々と壊れ、症状は重松さんより重くなっていきます。重松さんも矢須子さんも原爆症に苦しみながら、被爆直後の惨状と三和町での闘病生活を日記に書いていました。
 そんな頃、重松さんは、小説家井伏鱒二と出会いました。
 井伏鱒二は昭和19年に戦火を避けて東京から故郷の広島県賀茂かもちょうに帰っていました。釣りが大好きな井伏氏はよく渓流に出かけ、ある日重松さんと出会ったのです。重松さんは自分の被爆体験を語り、井伏氏に日記の全巻を譲りました。井伏鱒二は21年に上京しますが、それから19年後に名作『黒い雨』が発表されました。
 『黒い雨』は、いわゆる戦争文学といわれるものですが、拳を突き上げて反戦を叫ぶものではなく、原爆投下後の惨状について感情を抑えて描写する縦糸の部分と、矢須子さんの日記を清書しながら、矢須子さんの病状を心配し、その死を怖れる重松さん夫妻の心情が横糸となって交互に描かれていく作品です。物語は、重松さんがこいの養殖場から家に帰る途中雨に遭い、その雨が上がった時、向こうの山に虹が出れば矢須子の病気が治ると心に思い、それが矢須子の死を暗示するところで終わっています。
 これは余談ですが、小説『黒い雨』の発表から24年経った平成元年に、映画『黒い雨』が完成します。私はこの映画の撮影中から関心を持っていましたが、それは、ロケ地の一つに私の住む岡山県金光町こんこうちょうが選ばれ、しかも私の家の古い土塀の前を被爆者がよろめきながら歩くシーンがあったからです。映画が完成した時にはモデルの重松さんはすでにこの世の人ではなかったのですが、私には、何度も観た映画の主人公と、生徒たちと一緒に一度だけお会いした重松さんとがいつも重なってしまうのです。
 初夏の日も傾き、その日の訪問も終わろうとする頃、重松さんは生徒たちに向かってこう言われました。

 「私たちの住んでいる地球は、美しい宇宙船です。私たちは生まれた時、この宇宙船に乗り込み、懸命に生きて、ある時宇宙船から降りていく。私たちは2度とこの美しい宇宙船を核兵器によって汚してはいけません」

 重松さんの言葉は夕日の光と一緒に私たちの心の底に染み通ってくるようでした。私たちが訪問して1年半後の昭和55年10月20日、重松さんの死が新聞に報じられましたが、私の心から美しい宇宙船のイメージが消えることはありませんでした。その時一緒だった生徒たちもきっとそうに違いないと思っています。
 今、地球環境の改善に向けて個人ができることはわずかかも知れません。私も、物を粗末にしない。車のアイドリングは絶対しない。生徒と一緒にクリーン作戦に参加する。それくらいです。私の学校には生徒・教師・保護者の実践目標として「人をたいせつに 自分をたいせつに 物をたいせつに」という言葉があります。昨年から私はこれに一つの意味を付け加えました。
 私たちは勉強を何のためにするのか。それは、人を大切にするため、自分を大切にするためである。そして、物を大切にすることは地球環境を大切にすることにつながってくる。このことを生徒たちに向かって言い続けることが私の実践目標でもあります。
 私たちの地球が、いつまでも美しい宇宙船であることを願いながら、これからも生徒たちと共に歩んでいきたいと思います。

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